DIARY

KEN NAGAHARA

By 2018年11月13日 No Comments

 

 

 

 

 

 

2004年1月、サザン・カリフォルニアのPomonaで開催されたEasyriders Bike showを取材した後、北へ伸びるハイウェイを夜通し走りカルフォルニア中部の港町Santa Cruzeを目指した。プロスケーターにしてチョッパービルダーでもあるJason Jesseeとのファースト・コンタクト。

日本でもブレイク寸前だった当時の彼が、活動の拠点としていたSanta Cruzeにほど近い町WatsonvilleにあるプライベートガラージAutomodownで落ち合う手はずだった——結果的には素晴らしい取材をメイクすることができた。その記事は当時在籍していたH-D専門誌HOTBIKE JAPANの巻頭特集を飾る。

当時スケート界では既にビッグネームだったJJは、ChopperやHotrod、Punk Rockなどアメリカの不良がストリートで生み出したあらゆる文化を体現するカウンターカルチャーの申し子のような存在で、50歳を過ぎた今も現役バリバリのプロスケーター。その影響力はいまだ絶大である。

そんなJJが初取材の際に紹介してくれたのが、当時弟分のように可愛がっていたJasin Pharese、そしてMax Schaaf。彼らふたりもJJと同じくSkateboardとChopperという異世界を自在に行き来するベイエリアのハイブリッドだった。帰国後、Max Schaafからメールが入る。「今度アメリカに来る時はオークランドにも寄ってくれ。いつでも歓迎する——」。

初めてオークランドの地を踏んだのは同年の秋だった。“1973年生まれのH-D好き”という共通項も手伝い、ボクらはすぐに打ち解けた。生粋のオークランドローカルであるMaxはベイエリアのスケート/バイカー双方のシーンに精通していて、日本ではまだ知られていない、しかし実に興味深い人物を惜しみなく紹介してくれた。そのひとりがKen Nagahara

米国在住の写真家で、ボクが雑誌を作る上で欠くことのできないパートナーである。

出会った当初は写真を学ぶために単身渡米し、オークランドに住んでいた若いスケーターだったが、地元のプロスケーターであるMaxやJasinの影響をダイレクトに受けバイクに乗り出すと、すぐさまアメリカの深遠なるバイカーカルチャーに引き込まれてゆく。

いつしかKen自身もハーレーダビッドソンに強い憧れを抱くようになり、苦労の末に念願の1948年式のパンヘッドを手に。昨今は仲間と共にChopperに仕立てた愛機でアメリカ大陸を走り回っている。

蛇足だが2010年、Maxがプランを描いたモーターサイクルによる大陸横断にオークランド在住の奇才イラストレーターChris Lindigと共に参加。幾多のトラブルを乗り越え3人揃ってSF to NY to SFの長旅をメイクしている。

HOTBIKE JAPANの編集在籍時よりチームとして行動を共にして早15年。現在手がけているROLLER及びRIPPER MAGAZINEのアメリカ本国の取材/撮影も、ほぼ全てがKen Nagaharaの仕事。

ちなみにWHITE’Sのアンバサダーとしても活躍するMax Schaafのプロモーション及びAD写真も彼の作品である。

 

 

バイクライドはもちろん、ハードな撮影の際もWHITE’SのNOMADを愛用中のKEN NAGAHARA。耐久性に富むフルグレインのオイルドレザーを用いたエンジニアブーツ。

12インチのハイトで足元をしっかりガードしてくれるバイカースペックの1足。